らくペラ作者がコミュ障を治すまでの道のり┃らくペラストーリー

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小学中学と友達も多く、会話に不自由しなかった僕がコミュ障になったのは一瞬の出来事でした。

高校入学初期の絶望

高校に入学した4月、先輩とも仲良くなり、お調子者キャラだった僕はそこまで友達に困っていませんでした。

しかし5月のゴールデンウィーク中に、中学の頃から付き合っていた彼女と別れました。さらに髪の毛命だった僕が、頭髪検査によりおかっぱみたいな髪型にさせられて強いストレスを感じていました。

そこに追い打ちをかけるような、運命の出来事が起こります。

口は災いの元

中学の頃から恋愛相談に乗って貰ったりしていた仲の良い女の子の友達がいて、ある日その子と会話をしていた時の話しです。

男友達との会話をその子に何気なく話しました。

後日、男友達から連絡がきてトラブルになりました。女の子が高校でその男友達の話しを色んな人に言ったみたいで変な噂が立ったからです。

それからデパートの屋上でケンカすることになり、戦意の無い僕はコテンパンにされました。その時に人は殴られると目の前が真っ白になるということを知りました。

喋る=トラブル

その件以降に、ケンカにはなりませんでしたが、誤解がありもう1度だけトラブルが起きました。

その日以来、中学の時の友達は周りからいなくなりました。

それ以来、喋ると辛い出来事が起こるかもしれない、また怖い思いをしないといけないと考えると、人が怖くなり、踏み込んだ会話ができなくなり、コミュ障になりました。

さらに、高校で話してくれていた同級生が、先輩から僕に友達がいないから話してあげてほしいと言われていて会話してくれてただけということを知りました。

それから、人が簡単にいなくなる現実を痛感したことに加え、上辺で話してくれてただけなんだなと思うと人間不信になりました。

話し上手な先輩

コミュ障になったのは高校1年の5月でした。

入学初期は友達を作る大切な期間であるため、この時期にコミュ障になったことで友達を作るタイミングを失い、1人で食堂でご飯を食べることも多かったです。

4月のうちに中学の頃から憧れていた先輩(男)がいる料理部に入部していた僕は、料理部の先輩達とは会話することができました。優しくて話題を振ってくれますし、コミュ障になる前から関わっていたので、コミュ障の僕でもなんとか会話が出来ました。

その先輩達の1人が、コールオブデューティーという銃撃戦のゲームをしていて、僕もしていたのでオンラインでやることになりました。

オンラインでマイクを繋いで話しながらプレイしていると、先輩の友達がたくさんパーティーに入ってきて、一緒にプレイしていました。

同じゲームという話題があるので、会話もぎこちないながらも弾みました。

ここでラッキーだったのが、先輩の友達が話しが上手かったというところです。

マイク越しに話しを聞いていると話し方を段々覚えてきて、普段の生活で先輩の友達の話し方を無意識でマネしていました。

マネをしてブレイクスルー

マネをしながら人と話すと、体感的に自分で話しているような感じがしません。自分の後ろにマネをしている人が宿っているような、不思議な気分になります。

そうすると、自分1人じゃないような気がして、普通に話すよりスムーズに話せることに気が付きました。

さらに、マネをして話すことで、相手の反応もいいことにも気が付きました。

その経験から、YouTubeでhydeさんや陣内智成さんの話し方を見て、マネするようになり、ウケがとれるようになり、モノマネの味を占めました。

コミュ力上昇の兆し

それから少しずつコミュ力が回復してきて、周りの人と共通の話題(服やゲーム)で会話をするようになり、クラスの中心メンバーの人と仲良くなることができました。

そうすると自分に権威性が付き、ナメられることも少なくなり、友達も少しずつ出来るようになっていきました。これが高校1年の9月~10月の話しです。

完治しないコミュ障

ここまで聞くと順調そうですが、コミュ障は中々完治しません。

ヤンキーぽい人と話すとやっぱり恐怖心が残っていて、踏み込んだ会話ができません。それに加え、人と話す時に緊張して汗をかいてしまうようになっていたので、多汗症の症状も残ったままです。

コミュ障を治すために必要だったこと

最終的には美容学校を卒業する頃にはコミュ障はほぼ治っていました。

多汗症は、人と関わり続けることで慣れたのもありますし、良く思われなくていいという風に考える事で、他人からの見え方が気にならなくなり汗をかきづらいメンタルが出来上がってきました。

さらに、会話のセオリーを経験から学び、共通の話題を見つけて、愛想よく、相手が喜んでくれる話題を話すようにし、自分のことも少しずつ話していく自己開示をしていくと会話はうまくいくということを知りました。

そうすると、会話に対する恐怖心が無くなり、多汗症とコミュ障の改善にも役立ちました。

バイト先の後輩の女の子

しかし僕のコミュニケーションに1番大きな影響を与えたのは、美容学生時代のバイト先の後輩の女の子です。

その子は後輩ながら「翔さん〇〇ですよね~?」と気さくに相手の懐に踏み込む会話ができる子でした。

僕が怖くてできないことを簡単にやってしまう後輩ちゃんはすごいなと、とても感心したのを覚えています。

それから僕がやったことは、もちろん、その子の「マネ」です。

その子のマネをすることで、今まで突破できなかった、踏み込んだ会話が本当の意味で会得することができたのです。

あとは場数を踏んで、やってはいけないことはしないように自分の心に刻み、やってみてウケがよかったことはどんどんやるようにしていくと、経験を積むごとにコミュニケーション能力が上がっていきました。

あとがき

ざっくりとですが、らくペラ作成者の森沢がコミュ障になってから、コミュ障を治すまでの軌跡を書きました。

他にも見た目を磨いたり、彼女と復縁するために鬱状態を乗り越えたり、メンタルを強くする考え方との出会い、多汗症を抑えるアイテムとの出会いなど細かい話しはありますが、それはまた別の機会にお話しできればと思います。

コミュニケーションで悩んでいる人は、コミュ力は伸ばそうと思えば伸ばせるので、ぜひトライしてみてください。

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